2011年9月11日日曜日

歌六の孫右衛門。

 11日日曜日。新橋演舞場秀山祭の昼の部を見る。歌昇さんが又五郎を、種太郎くんが歌昇をそれぞれ襲名する。新又五郎丈はアキレス腱を痛めているとか。大変な試練となった。「舌出三番叟」は染五郎よりも種太郎くんの筋の良さが際だった。この人の踊りや芝居のセンスはよい。お父さん以上であろう。将来が楽しみ。「寺小屋」での涎繰りも品のよいコミカルさを出せていた。「新口村」は藤十郎も元気で良かったが、お目当ては孫右衛門の歌六さん。この人は基本的にはカッコいい人で(だからかねがね歌六さんで河内山を見たいと思っている......)、近年は老け役が多いが、今回の孫右衛門にかぎれば、もうすこし弱ったところが出ると良かったか。なんとなく地にカッコよさ、元気さが出てしまい、孫右衛門の造型としてはやや物足りなかった気がする。セリフも水準ははるかに超えていようが、完璧な上方言葉にはならず。わずかだが気になる。とはいえ、最後に木にぶつかって雪をかぶるところでは大きな感動があった。「寺子屋」はなんといっても芝雀さんの戸浪が出色。セリフの調子が院本物の基調をくずさずきちんと歌舞伎になっている。本当にジャストの調子という感じ。この人は現代歌舞伎の女形としては最高であろう。それに対して、又五郎の武部源蔵は力みすぎである。総じて、源蔵をやる役者は前半をしどころと力む傾向にあるが、松王丸が出てきてからはパワー全開なのだから、前半は危機感を出しながらも、テンポよく抑え気味にするのがよい。あまり重々しくやると、観客はここで集中力を取られてしまい、後半の肝心なところで疲れているということになる。歌昇時代のテンポの良さが消えていたのは、調子のせいか、襲名の気負いのせいか。吉右衛門の松王丸は、播磨屋のやり方を見られて面白かったが、ちょっと世話になりすぎるか。しかし、泣き笑いなど、抑え気味だが、笑いから泣きに変わるところの調子はちょっとぞくっとされるものがあった。さすが。最後に「勢獅子」でおしまい。新歌昇はここでも獅子舞でがんばっていた。──芝居のはねたあと、新宿にでてNくんと「すし好」で寿司をつまみ、酒を飲む。時間が早かったので、最近気に入っている「鮨丸」は開いておらず。夏場の寿司とはいえ、もうすこしデリカシーがあるとよいなあ。初めて入ったが誘ってしくじったと思った......。

2011年6月25日土曜日

歌六の釣船三婦。

 24日金曜日。1限のフランス語初級に行く。Pascal au Japonの第4-6課のdialogueの暗唱テスト。ついで小テストの返却と解説(これはT.A.氏担当)。最後に、Carla BruniのLe plue beau du quartierを聞く。どうも学生に聞くとフランスから連想されるものにサルコジ大統領があるようで、まあ、こちらをとりあげるのはなんとなく不愉快なので、奥さんの方に登場願ったというわけ。2限は雑用処理。はやめにコンビニ冷やしうどんを食べ、昼休みはしばし昼寝。3限はフーコーで、『狂気の歴史』のガリマール版の序文を読んだ。これは、序文など書きたくない、なぜなら、序文によって本の内容はこうだと作者からお墨付きを与えるのではなく、それぞれの読者が本に自由に模像(シミュラークル)を与えるのが望ましいから、といういかにも68年の思想らしいことが書いてあった。4限はニーチェ講読。早々に退散し、荻窪で泳いでから帰宅。どっぷりと疲れ、早めに寝た。

 25日土曜日。10時頃からぼちぼちと『三声』を読む。1917年の5-7月はルイスとのやりとりが頻繁で、この期間だけで140頁ほどもある。集中最後の盛り上がり。3時過ぎに家を出て、新橋演舞場へ。歌舞伎の夜の部を観る。お目当ては歌六さんの釣船三婦だが、なぜか最初に宇野信夫の『吹雪峠』なぞが出ている。くだらない芝居だ。歌舞伎をわざわざ観に来ているのに、なぜ出来の悪いリアリズム演劇、人間心理の深層をえぐった、とでも称するものを観なくてはいけないのか、正直疑問。真山青果や岡本綺堂は我慢できるし、富十郎なぞがすれば素晴らしい効果が出ているのも分かるが、この宇野作品はかなりひどい。それにリアリズムでやるならば、病持ちの男が焚き火の煙に顔も背けず木をくべるなぞということがあるのか。ドライアイスかなにかの煙であることが実感されるような演出が反省されるべきであろう。圓生の『鰍沢』の寒さの表現は、たんに座って話しているだけだが、同じリアリズムでも、レベルが違う。『夏祭浪花鑑』は、吉右衛門が団七、仁左衛門が徳兵衛、歌六が釣船三婦、芝雀がお梶、段四郎が義平次。現代歌舞伎の最高の組み合わせであろう。率直に言うと、吉右衛門の団七はあまりはまり役ではない気がする。仁左衛門は上方出身だけあって、こういうものはすばらしい。そして歌六さんが本当に良い。上方チョイ悪おやじなのだが、この芝居の主軸をなす役どころを魅力たっぷりに演じていた。残念なのは福助のお辰(徳兵衛女房)で、顔に色気のある若い女に若い男(磯之丞)を預けることはできない、と三婦にいわれて、焼けた鉄弓を顔に押しつける気丈な役だが、吉本新喜劇のような不思議な軽さと、決まるべきときに決まれない技量のなさは目も覆わんばかり。最後花道で、徳兵衛は顔ではなく心に惚れている、と決まるところも、妙な高い調子で不思議でした。これなら、以前、歌舞伎座でやった勘太郎くんのほうがはるかに上手い。正直、芝雀さんのお辰を観てみたかった。ほとんどやらない役どころだろうが、こういうのをどうやるのか、興味深い。最後の『かさね』は、時蔵さんの踊り(とくにクドキのところ)がすてきでした。染之助もこういう複雑な芝居のいらない単純な色悪だと持って生まれたものの良さがよくわかる。延寿太夫は昔よりはましなのだろうが、まあ、こんな清元ではcharmされまい。

2011年6月9日木曜日

若きパルクについてのルイスの批評。

 8日水曜日。2限の院ゼミに行く。Sainteを読む。昼はコンビニ冷やしうどん。そういえば駅前のローソンは蛍光灯をLED照明に変えているところだった。打大も企業家精神を標榜するのだから見習うべき。1時半から教授会。FDなるものもあり、6時頃終了。Yさんと「葱や平吉」で飲む。

 9日木曜日。7時過ぎから『三声』の続き。9時前に家を出て、10時から大学で会議ひとつ。11時半頃に解放されたので、駅前で蕎麦を食べ、そのまま荻窪に出て、泳ぐ。帰宅後、しばし昼寝をしてから『三声』の続き。具体的にLa Jeune Parqueを巡るやりとりになってきた。初めの部分を初めて見せられたルイスは、6月7日の手紙(p. 1093)で、その美しさと、ヴァレリーが詩を再開したことに涙を流す(彼が若きヴァレリーをモンペリエの田舎から「発見」したのだから、思いは深い)。6月26日には、最後の部分のうち46行ほどを見せられて、そのうちの気に入らないところ(高踏派的なornerやpourpre, d'orなどの語)や気に入った詩句を伝えている。次の( )内が気に入らない箇所、=や─は気に入った詩句である(p. 1103)。

  Trouveras-tu jamais plus (transparente) mort
= Ni de pente plus pure où je rampe à ma perte
─ Que sur ce long regard de victime entr'ouverte,
─ Pâle, qui se résigne, et saigne sans regret ?
= Que lui fait tout le sang qui n'est plus son secret ?
  Dans quelle blanche paix cette (pourpre) la laisse
  À l'extrême de l'être et (belle de) faiblesse !
  Elle calme le temps qui la vient abolir,
= Le moment souverain ne la peut plus pâlir.
  (Que boive le soleil ce flot qu'elle dédaigne)
  Que le jour en ruine (orne) ce flanc qui saigne,
  (Que, mesurant leur gloire aux grandeurs de ces yeux,)
  S'assombrisse le sable et s'effacent les cieux !
  La forme vide baise une (pourpre) fontaine.
= Elle se fait toujours plus seule et plus lointaine.

決定稿の対応箇所は次のとおり──。

Trouveras-tu jamais plus transparente mort
Ni de pente plus pure où je rampe à ma perte
Que sur ce long regard de victime entr’ouverte,
Pâle, qui se résigne et saigne sans regret ?
Que lui fait tout le sang qui n’est plus son secret ?
Dans quelle blanche paix cette pourpre la laisse,
À l’extrême de l’être et belle de faiblesse !
Elle calme le temps qui la vient abolir,
Le moment souverain ne la peut plus pâlir,
Tant la chair vide baise une sombre fontaine !
Elle se fait toujours plus seule et plus lointaine...

ルイスの指摘した箇所はすべてではないが、削除されたり訂正されたりしている。私感としても、彼が( )を付した箇所が弱いのは確かであるように思う。もっともplus tansparente mortにはこだわりがあっただろうが。Que lui fait tout le sang qui n'est plus son secret ?はルイス好みでもある。que... qui...と微細な差異によって反復的に区切りを入れ、lui - plus、fait - n'estのassonanceや、sang - son secretのallitérationが半句の対称性を強調しているあたりは、構造的に見事であろう。以下は、試訳──。

 おまえは見出す、この上なく透明な死と、
私が破滅に至るまで這い進むこの上なく純粋な斜面とを、
なかば身をひらいた犠牲者のあの長い視線の中、
青白く、あきらめ、悔いもなく血を流す犠牲者の視線の中に。
もはやその秘密であることをやめた全身の血はこの犠牲者に何をするのか ?
この緋は、色あせたどんな平和の中にこの人を置き去りにするのか、
それは存在の極限、残されたのは脆弱に美しい女!
彼女は自分の命を消し去ろう迫る時を和らげ、
至高の瞬間は彼女をもはや蒼白にできない、
それほどに空虚な肉体は薄暗い泉に口づけるのだ!……
彼女はますます孤独になり、遠ざかる……

2011年6月7日火曜日

バドゥラ=スコダのベートーヴェン。

 6日月曜日。未明3時半頃に胃痛で眼が覚める。うーむ。解せないこと。胃薬を服用して再度寝る。午後半ばまで起きたり寝たり。胃痛自体は午前中には収まったが、なんとなくだるいのでおとなしくしている。3時過ぎに家を出て大学へ。MallarméのSainteの流れで、しばし『カンタベリー物語』の聖セシリアの件を読む。6時から会議。7時過ぎに終わり、先生方と「葱や平吉」へ。健康診断もあるし、朝の胃痛もあったので、ビールはコップ一杯。あとはウーロン茶で葱を食べる。とはいえ、少々食べ過ぎたかもしれぬ.......。

 7日火曜日。1限のフランス語初級、2限の院講読とふたつ授業をする。初級は第4課が終わった。例のごとく、質問しないとどんどん進むよ、というと、なかなか感心なことに二つほど質問が出た。良いこと。昼は、Sainteの注釈をしばし眺める。健康診断なので昼食は食べられず。で、1時過ぎに診断に赴く。2時過ぎに解放され、一路荻窪へ。ルミネ上の「洋食亭ブラームス」でカツカレーを食べ遅めの昼食。家に戻って、夕方しばしお夕寝したほかは、『三声』のつづき。いよいよ第一次世界大戦のあたりまで来た。『若きパルク』をめぐるルイスとのやりとりを詳しく見るのが今後の課題。

 最近引っ張りだしているバドゥラ=スコダのベートーヴェン・ソナタ全集だが、改めて聞き直してみて、すばらしさを再確認した。これは当時のピアノフォルテで弾いていて、初期のソナタは、楽器のせいか、ずいぶんと弾きにくそうにしているが、ワルトシュタインや熱情から、ハンマークラヴィーアや後期ソナタのあたりになると、楽器としても扱いが楽なのか、テクニック的にも安定し、演奏の良さが引き立つ。この人には、音楽の喜びに対して確固とした実感があり、それが演奏を裏打ちしているために、聞いていてこちらも(静かにだが)高揚してくる。ベートーヴェンのあまたある録音、演奏のなかでも出色のものであろう。というか、この人の演奏を聴いていると、彼のステージでの姿の思い出もあって、なにか愛してしまうのだった。そんな魅力がバドゥラ=スコダにはある。

2011年1月5日水曜日

哀悼:中村富十郎。

 中村富十郎が亡くなった。正直、かなり驚くとともに、失われたものの大きさを思いしばし呆然とした。去年の秋に「浮かれ坊主」を見たのが私にとっての最後の富十郎であったということになる。無駄なものがすべてそぎ落とされたような、踊りの「本質」そのものがそこに現出しているような、そんな稀有な感覚を覚えた舞台だった。彼の踊りや芝居は数多く見てきたし、富十郎の名があるだけで見に行きたいと思わせるほど魅力のある役者だった。

 初期の記憶で覚えているのは、学生の時に南座の顔見世で見た「舟弁慶」。静御前の舞と後ジテの知盛ともに素晴らしい出来であった。同じ南座では、かのアカデミッシャンのフュマロリを案内して富十郎の「娘道成寺」を見た。同じ公演で富十郎は「らくだ」の半次を演じていて(久六は勘九郎だった)、フュマロリは同じ役者がこんなにも違う役を演じ分けられるのに驚嘆していた。矢車会での雀右衛門との「二人椀久」ももちろん忘れがたい。「勧進帳」では富樫が定位置という感じだったが、中座では彼の弁慶も見ることができた。「滝流し」をちゃんと踊って見せてくれたのは彼だけである。「熊谷陣屋」の弥陀六(宗清)、「白浪五人男」の日本駄右衛門、「対面」の工藤、などなどよく演じたものも多いが、この他にも、「伽羅先代萩」の対決の場で名裁判官細川勝元を演じたさいの弁舌の冴えは素晴らしかった(これはもっと再演されてよい演目だったと思う)。

 富十郎は踊りの天才であった。彼とは別の面でより優れた魅力を発揮した踊り手はもちろんいるが、踊りの本質において彼ほどの天賦の才を見せた役者はいないであろう。ヴァレリーにならって言えば、彼の踊りは偶然や恣意性の中に「必然」を作り出して見せる。彼の身振りのひとつひとつが、まさにそのように動くしかないという必然性を観客に感じさせる。生来の混乱を内部に抱え込んでしまった私にとって、富十郎の踊りを見ることは──越路大夫の義太夫とホロヴィッツのピアノとならんで──この混乱を宥めるための特権的な方法だった。そして、私はほとんど富十郎を見ることを通して歌舞伎や踊りがどういうものかを理解したと言っても過言ではない。彼にとってプラトン的なイデア論は空虚な形而上学などではなく、踊る彼自身が受肉化したイデアだったようにさえ思われる。こうした物言いは大仰だけど、彼にはこのような「神話」を確信させてしまうような力があった。

 いまや彼は肉を捨てイデアそのものとなった。富十郎というイデアを受肉化するのは残された者たちの使命である。