2010年9月13日月曜日

歌六の平作。

 12日日曜日。新橋演舞場へ行く。昼の部の「沼津」に、吉右衛門の十兵衛の相手で歌六が平作をやるのが一番のお目当て。ほとんど気持ちはそこにあった。吉右衛門も芝雀のお米ももちろんよろしいが、やはり今回は歌六の平作につきるのではないだろうか。この人の芸の巧みさは劇回随一であるように思う。出し物としては、最初の吉右衛門との捨て台詞がやや速すぎて聞き取りずらく、かつせわしなく感じたのはマイナスだけど、最後の死に別れに向かって劇的効果を最大限に高めていく名演だった。

 (恥ずかしながら)今回初めて自覚したが、院本と歌舞伎では「沼津」のやり方がだいぶ違う。義太夫では出会ってかなり最初のところで平作が自分の父親であることを認識した十兵衛が、親子と言い出したら金をうけとらないだろうから──父は雲助をするくらい極貧なのだ──、お米を嫁にほしい、その支度金として金を置いていく、というはこびになるのだが──お米は主ある身なので気分を損ねる──、歌舞伎では本当に気を持ってしまい、それで平作の家にとどまる気になる、と進んでいく。いくら美人とはいえいきなりあった極貧の娘に結婚を言い出すのはかなり変で、このあたりは歌舞伎の方がおかしいように思うけれど、親子の件を最後の方にもっていて劇的効果を高めたいということなのであろう。歌舞伎の方はさらに前半をコミカルにやり、後半の悲劇との対比を際だたせてもいる。

 次の「荒川の佐吉」もかなり良い舞台であった。仁左衛門の佐吉。親分の仁兵衛を斬る浪人成川に(病気の左団次の代役で)また歌六。さっきまで腰の曲がった老け役をしていた人が剣の達人で出てくると、ちょっとした早変わり効果であった。歌六ファンとしてはうれしい。相政の親分に吉右衛門。これで仁左衛門と吉右衛門がやりとりすると無類である。吉右衛門はこういう──ちょっと鬼平的な──役で出てくると──「お若えの、しっかりなせえ」と佐吉に声をかけたりすると──かっこいいのだなあ。不覚にも涙を催しかけた。

 夜の部の目玉は吉右衛門の俊寛。これは段四郎、仁左衛門、歌昇、染五郎、福助がつきあい、無難にまとまっていたように思う。福助の千鳥はあんなににやにやしなくてもよいのだが。ちょっと気持ちが悪い。その後に、芝翫の「鐘ケ岬」、富十郎の「うかれ坊主」。地唄舞の方は、どうも地唄というものがあまり面白いと思えず、いまひとつ乗れなかったけれど、風雅な踊りとしては楽しめた。延寿太夫はあいからわず下手くそだが、富十郎の踊りは無類で、とても81歳とは思えない。「うかれ坊主」なんていうのは日本舞踊の中でもよくできたもので、こういうのを見ると面白いなあと思う。

 最後は「引窓」で、染五郎が十次兵衛、孝太郎がおはや、東蔵のお幸、松緑の長五郎。染五郎が不安で、どうなろうかと期待せずに見始めたが、存外そつなくまとまっていた。この人は地の芝居は達者なのだ。とはいえ、良いところでセリフを決めようとすると、声が甲高く、かつかすれる。自分が力んでしまって、力が観客に伝わってこない、というあたりは最大のネックであろう。十兵衛の時に、町人然としてにたにたしているのも、崩しすぎのようで、柔らかくするのと、くずれるのとは自ずと別のことだ。このあたりは上方の味なのだろうが、東京育ちにはなかなか習得されえないのかもしれない。

2010年7月29日木曜日

吉右衛門、芝雀、歌六の『ども又』

 25日日曜日。新橋演舞場に行く。6月にチケットを取るときはもうこの日は仕事の見通しもつき余裕であろうと思っていたが、まったくの皮算用であった。溢れそうなコップに水を注ぐようなことでどうもいやな感じではあるが、キャンセルはできないので行く。

 昼の最初は福助と三津五郎で『名月八幡祭』。児太郎時代に見ているから、3度目くらいか。まあ完成されているといえばいえるが、玉三郎で見たいと思わせるところがダメ。婀娜っぽくやっているのだが、悪女でも品がなければ歌舞伎ではどうしようもない。福助はむしろあとの『金閣寺』のように丸本をやっている方がよろしい(かつてお三輪をブログでほめた覚えがある)。中幕は富十郎の『文屋』で、今回のお目当てのひとつはこれ。衰えは隠しようがないが、なにか技巧や力はすべてそぎおちて、彼の本質だけが踊っているような、そんな舞台であった。よい。昼の最後は『金閣寺』で、団十郎の松永大膳、福助の雪姫、吉右衛門の秀吉、歌六の佐藤正清。これはこれでまとまっていた。ちょい役で芝翫が出た。

 夜の最初は団十郎で『暫』。これも完成の域であろう。もうこうなるといいとか悪いとかを超えてはいる。けっしてカタルシスはないのだが。清原武衡の段四郎はいつもながらよい。次が『ども又』で、吉右衛門の又兵衛、芝雀のおとく、歌六の土佐将監、吉乃丞の北の方、種太郎の修理之助。これはうなった。吉右衛門、芝雀、歌六という人たちは現代歌舞伎の最高の境地を実現してしまっている。変に力が入っておらず、着実に劇が進むのだが、確固とした説得力がある。ありがちな人情話なのに、そんな気にはさせない。どもりでハンディを背負い、言いたいことも言えず、思い通りにもならない人生の困難がしっかりと伝わってくる。おもわずも「すごい」という言葉が浮かんできたが、幕の後、左右前後から「すごいね」という言葉が聞こえてきた。種太郎君も将来が楽しみなよい役者であった。最後は『馬盗人』。すごい『ども又』の後に見たいものではないが、馬が見得をきって六法を飛んだのには驚いた。ふーむ、こんなんがあるのか。

 朝と夜中にせっせと訳文チェックもやり、大変充実した一日。やあ、でも『ども又』はすごかったな。

2010年3月29日月曜日

最後の歌舞伎座。

 27日土曜日。昼にちょっと仏作文の添削をやってから家を出て、2時半から友人ご夫妻と歌舞伎座で芝居を見る。


4月の興業が最後で、建て替えとあいなるので、もう本当に最後である。


 三部制の第二部から。まず『菅原』の『筆法伝授』と『白浪五人男』の浜松屋から稲瀬川勢揃いまで。筆法伝授は初めて見た。梅玉の武部源蔵はともかく、仁左衛門の菅丞相はさすがであろう。白浪では吉右衛門の南郷力丸と幸四郎の日本駄右衛門という珍しい兄弟競演が実現した。弁天小僧は菊五郎ではなく、浜松屋若旦那の菊之助でもよかったかも。第三部は『道明寺』と天王寺屋親子の『石橋』。道明寺は、山城の録音を何度も聞いたが、竜田の前が殺されるところはなく、例の木造の丞相が偽迎えに乗り込むところからなので、今回の上演で殺される場面のイメージがつかめて良かった。仁左衛門の丞相はやはりよい。こういう神がかった役は大変であろう。玉三郎の覚寿は、14世守田勘弥所縁ということだが、こちらも良かった。石橋は、衰えたながらも富十郎の仕草は絶品であり、こちらの気持ちが改まるような舞台。大ちゃんは、可能性の片鱗を見せ始めたか。

 4月が最終公演だが、もう切符も売り切れだというし、こちらも忙しいので、これが最後の歌舞伎座だろう。新築はなにやら上にビルがつくらしいが、普通に考えて、オペラ座の上やスカラ座の上にビルがあったら、あちらの人々はみんな怒るだろう。東京っ子がこういうことを聞いて怒らないのはどうにも不思議でならない。松竹はまあその程度の会社だが、長い目で見れば文化的にはずいぶん損をするであろうと思う。こういうあたりに近代日本人の貧困さが露呈している。